2011年4月 7日

高木正勝という天才

ほぼ日刊イトイ新聞さんでの高木正勝さんのライブにお邪魔してきました。共演は我らが鈴木慶一さん。なんと慶一さんがかつて音楽を手掛けたゲーム『MOTHER』の曲を一緒に演奏するとのこと。

 

 

 

高木正勝さんと最初に会ったのは、確か『rehome』『sail』の取材のときだったと思う。だから2003年。白金にある、とある映像会社のオフィスでの取材。実際のインタビューは高木さんと付き合いの長いうちのボスが担当していたのだけど、マネージメント、それぞれのタイトルのリリース元、カメラマン等々、総勢10人くらいいる現場で、えらく取材しにくそうだったのを覚えている。

 

その後、折々で取材させていただいて、顔を合わせる機会もいくつかあったわけですが、最初は彼の映像と比較して、音楽表現が弱いような印象を持っていた。すごく失礼な言い方だけど、それだけ彼の生み出す映像が強すぎる。

 

当時の高木さんと言えば、インタビューのたびに「前こんなこと言っていたけど、あれはおかしかった。なんか舞い上がっていた」という発言を繰り返していた。今になって思えば、彼の実感としてはそれはリアルなものであったのだろう。恐らく、彼自身が表現したいものをうまく言語化できなかったのではないかと思う。と同時に、彼自身の音楽、そして映像は、進むべき方向へ進んでいた。

 

ひょっとしたら大きな転機はコンサート『Private/Public』にあったように思う。このコンサートは当時、僕自身を含め、周囲の人たちはみな口々に失敗だと評価した。彼自身バンドを率いるのは初めてだったから経験的にも足りなかっただろうし、彼自身が表現したいことを周囲に伝達することができていなかったように思う。

 

僕の予想では、このコンサートがトリガーになって、あの素晴らしい『Tai Rei Tai Rio』コンサートができたのだと思う。取材前にマネージメントに聞いても、事前に配られたフライヤー以上の情報が全く出てこない。すべては高木さんの頭の中にあって、まるで口承文学のように、各プレイヤーに指示をしていく。そして生み出された音は太古の記憶を喚起するかのような深さを持っていて、文字通り「祭礼」を見ていたかのような気持ちになった(このコンサートはCD『Tai Rei Tai Rio』と『或る音楽』というドキュメンタリーにまとまっています)。

 

それ以降もいろいろな活動を見ていく中で、どうやら彼はある種の「界面」を描こうとしているのではないかと思い至るようになった。曲になる前の音楽、誰が演奏するでもない音…なにかが産み落とされる瞬間のひらめきのようなものが漂う連続。彼の映像は、細胞が分裂するかのようなモーションを見せることが多いのだけれど、「分裂する細胞」を描くのではなく、「分裂」という動的な事柄こそ彼が見せようとしているものだと。これは僕の勝手な想像に過ぎないけれど、生命の根源や心の有り様といったものは、そういうところに依拠しているのではないかと彼は考えているような気がしてならない。

 

そう書いて思い出すのは福岡伸一『生物と無生物のあいだ』『世界は分けてもわからない』といった本だ。そういう分子生物学的な表現を借りるとすれば、高木正勝の表現はES細胞やらiPS細胞が何か固有の機能を持つ細胞に変化する様子を転写しているかのような気さえしてくる。

 

そこからいろいろ考えてみると、安全と危険、あるいは生と死、どこからどこまでがその境界なのか分からないことだらけだ。そんな現実の中で、ただその動きを見つめとらえる…そこに本当の美や力が宿っているのではないかという気持ちになってくる。

 

そんな高木さん、実は曲を作り始めたきっかけが『MOTHER』の音楽に魅了されたからだという。今まで何度も会ってるのに、そんなことは初めて聞いたので本当に驚いた。よりによってマイ・アイドル鈴木慶一さんが高木さんの源泉だなんて…。

そうやってこの夜の演奏を聴くと、慶一さんの持つ優しさと、高木さんの美意識の邂逅がとても素敵に思えてならなかった。

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コメント[1]

ボスに聞いたら「MOTHERが好きだってことは何度も聞いていた」とのこと。

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