2017年6月15日の記事

鈴木裕和『ブルベのすべて』

僕が自転車に乗るようになったのは健康管理のためで(もちろん楽しいので向いているという理由もあります)、乗ったとしても百数十km/日程度。体調や仕事で乗れないときもありますから、世間のサイクリストから見たらヘタレにカウントした方がよいです。

ですが、世の中にはとんでもない距離を乗る人たちがたくさんいます。4年に1度、フランスで開催されるパリ〜ブレスト〜パリ(PBP)は、ツール・ド・フランスよりも歴史は古く、1,200kmもの距離を走ります(さすがに1日とはいきません)。このPBPを筆頭に、独力で、決められた距離を、決められたルートで走るオリエンテーリング的な自転車ロング・ライドの楽しみ方を“ブルベ”といい、これを愛好している人たちも世界中にたくさん居て、毎週のようにブルベ・イベントが開催されています。ブルベを走る男性をランドヌール、女性をランドヌーズと呼びます。

 

ところで、僕の高校時代の一学年上の先輩に、Cさんという女性がいました。僕が居座っていた(=所属していない)某文化部の方で、我々後輩からも慕われていました。卒業以来お会いしていないのですが、SNSで見聞きした範囲ではブルベも走っているそうで、そのきっかけは配偶者の方(やはり僕の先輩なのですが面識はありません)が、ランドヌールだから、ということだ、ということです。ブログを拝見すると、PBPや、アメリカの長距離ブルベなども参加しているということで、“別次元だ……”といつも驚いていました。そのC先輩の配偶者の方が、『ブルベのすべて』という本を出されたので、購入して読みました(鈴木家の家計に貢献)。

続きを読む "鈴木裕和『ブルベのすべて』"

2017年5月27日の記事

野生の思考

panse.jpg

前回の投稿からあっという間に3カ月経ってしまいました。そんなわけで『野生の思考』読書会。全部読んできたのは大将と僕だけ。大将はマインドマップのレジュメまで作ってきました(すげー)。幹事の大宮君お疲れ様でした。

本書の主題はサルトルの実存主義批判なのですが、サルトルがわかってないので、そこがツッコめなかったな〜。

本会の目的としては“自分では選ばないであろう古典の名著を読んでみる経験”ですので、それは達したかなと思います。

次回は9/1(金)に桜町君の事務所で行いますので、ゼミテンの皆さん参加してください(笑)。課題はトクヴィル『アメリカにおけるデモクラシーについて』です(中公クラシックスにするか岩波にするかは大宮君の指定待ち。僕は中公買っちゃたし、たぶんこっちになるんじゃないかと)。

 

2016年1月30日の記事

高橋健太郎『ヘッドフォン・ガール』

高橋健太郎さん初の(そしてアルテスパブリッシングさん初の)小説『ヘッドフォン・ガール』を読み終えました。

あらすじはアルテスさんのサイトをご覧ください。

http://artespublishing.com/books/86559-129-3/

 

僕と健太郎さんのやり取りが本格的にスタートしたのはここ数年のことで、それ以前も仕事で何度かお会いしてはいたのですが、Twitterを介してのやり取りが増えたころから、仕事でお会いする機会も増えてきました。

あるとき、ヒットラーのマイクをテーマにした小説を思い浮かんだという話は聞いたのですが、それがこうした形で上梓されるまでは、5年近くの時間が経ったと思います。

続きを読む "高橋健太郎『ヘッドフォン・ガール』"

2015年3月25日の記事

松本麗華『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』

麻原彰晃の三女、松本麗華さんの自伝が出たということでKindleで購入。講談社はこういうところもちゃんとしていますね。

 

続きを読む "松本麗華『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』"

2013年3月28日の記事

牧村憲一『ニッポン・ポップス・クロニクル 1969-1989』

牧村憲一さんは、日本のポップス・プロデューサーの草分け的存在です。

私が牧村さんとかかわりを持ったのは仕事を通じてで、具体的には津田大介さんと牧村さん、そして私の上司が登壇した、内田洋行でのセミナーからです。当時、津田さんと牧村さんは自由大学で「未来型音楽レーベルを立ち上げよう!」という講座を開いていて、その拡張版としてこの講座は行われました。

皆さん、覚えていますか? この内田洋行での講座で、牧村さんはこう宣言したのです。

「この講座に出た皆さんは、一人一レーベルを立ちあげなくてはならない」と。

牧村さんは後に「キャッチフレーズが独り歩きした」とおっしゃっていましたが、津田さんは自社にスタッフを抱えてメルマガを発行するようになり、私の部署でも配信レーベルが始まり、私自身もこの年にムックを編集したりと、新しいことが始まる契機になりました。

で、この後、渋谷エピキュラスを舞台に再開される「未来型レーベル講座」に出席もし、私も牧村シューレの末席に加わることになったわけです。“私淑している”と書きたかったんですが、実は門下生でした(笑)。

実は、牧村さんは何か質問を投げかけても、ストレートに返してくださらないことが多いんです。ただ、そこで投げ返される言葉がより深く問題に踏み込んでいて、いつも“ううむ…”と唸ってしまいます。ちょうど、私の恩師に質問したときと同じような気持ちになります。

 

そんな牧村さんの著書『ニッポン・ポップス・クロニクル』が発売となりました。心待ちにしていたので、大変うれしいです。

 

続きを読む "牧村憲一『ニッポン・ポップス・クロニクル 1969-1989』"

2011年7月 1日の記事

大宮冬洋『あした会社がなくなっても生きていく12の知恵』

 

大学のゼミ後輩であるフリーライター、大宮冬洋君の新刊『あした会社がなくなっても生きていく12の知恵』(ぱる出版)を読みました。

 

大宮君が12人のフリーランサーに取材をしながら、会社に依存しないで生きていく方法の利点やライフスタイルのあり方を模索・検討するという内容です。

 

 

続きを読む "大宮冬洋『あした会社がなくなっても生きていく12の知恵』"

2010年10月30日の記事

水月昭道『ホームレス博士』(光文社新書)

 

水月昭道『ホームレス博士〜派遣村・ブラック企業化する大学院』(光文社新書)を読みました。

 

 

前半は、大学院重点化政策によって大学院生は増えたものの、大学院生やオーバー・ドクターには就職先やポストが無いままなので、彼らが薄給の研究員生活を強いられたり、自分の専門と全く関係の無いアルバイト(コンビニやら清掃員やら)を強いられたり、あるいは非常勤職をなんとかかけもちしながらも年収200万程度のワーキングプア状態にあることを告発する内容。

後半はパチプロで糊口をしのぎながらオーバードクターを過ごしていた筆者(今もって常勤=テニュアでない)の体験談、という構成です。

著者の専門は環境心理学で、がん患者や障害者の生き方、学び方から「学ぶ・研究する」ことの本質を描こうとしています(が、ちょっと蛇足にも思えました)。ちなみに著者は得度を受けている仏教徒(僧籍あり)でもあります。

 

個人的には、もっと分野ごとの考察が深くあってもいいのではないかと思いました。

文系と理系、修士卒と博士卒などでマトリクスを描くと、より深く問題をあぶり出せるのではないかと。

 

で、翻って私のことを。

 

続きを読む "水月昭道『ホームレス博士』(光文社新書)"

2010年3月27日の記事

タラ・ハント『ツイッターノミクス』(文藝春秋) #twnomics

タラ・ハント、村井章子・訳、津田大介・解説『ツイッターノミクス』(文藝春秋/2010年)を読みました。

年頭に、津田大介さんにお話を伺う機会があって、そのときに“ウッフィーというネットでの貢献度を仮想ポイント化するような考え方があって、これを貯めておくとネットとリアル社会をつなげて何かしようとするときにものすごく力になってくれる”ということを聞いていました。もちろん本書が出ることと、解説を津田さんが書かれたことも含めて。

そんな経緯もあって、文藝春秋で一般モニター募集をしているという話を聞いたときにすぐ名乗り出ました。文藝春秋さん、ありがとうございました。

本書は原題が"THE WHUFFIE FACTOR - Using the power of social networks t build your business"ということで、Twitterに限らずネット上のソーシャルネットワークを使って、ビジネス的な着想をどう具体化していくか、というテーマを扱っています。

続きを読む "タラ・ハント『ツイッターノミクス』(文藝春秋) #twnomics"

2010年1月17日の記事

勝間和代×香山リカ『勝間さん、努力で幸せになれますか』

うまく感想がまとめられないので、以下twitterに書いたことをコピペしました。

続きを読む "勝間和代×香山リカ『勝間さん、努力で幸せになれますか』"

2009年12月12日の記事

読書メモ

永江朗『インタビュー術』 (講談社現代新書/2002年)

フリーライターの永江さんが、自身のインタビュー手法を明かしたり、インタビュー記事の実例を出しながらその解読をしたりする本。主には文芸インタビューが中心なので、まあちょっと違うけど……と思いつつ、インタビューに対する考え方自体は僕自身が考えていることとあまり相違なく。やっぱりインタビュアーのパーソナリティって出ますよね。

 

河合幹雄『終身刑の死角』 (洋泉社新書/2009年)

河合幹雄さんは法社会学者で、僕が学生時代に非常勤でうちの大学へも教えに来ておられました。ちなみに彼の父親が河合隼雄さんであることは最近知りました。河合さんの講義は、例えば日本の弁護士のミニマムチャージであるとか、示談交渉のテクニックであるとか、法解釈学で凝り固まった頭(僕らのゼミは法解釈学ですらありませんでしたが)には刺激的な内容で大変面白かったです。

本書で河合氏は、現在の刑事政策の実態を踏まえながら、その「必要性」を問われている終身刑創設について異議を唱えています。実質的には無期懲役刑が本当に「仮出所無しの無期刑化」している、そして受刑者の高齢化が進み、矯正と老人福祉がセットになってしまうような現状の矯正政策から考えると、創設の意味は薄い。そして、死刑廃止の流れではなく犯罪厳罰化の流れで終身刑が創設されれば、こうした現状の矯正政策上の無理な部分が本当に限界に達する点を指摘しています。それでいて河合氏は死刑存置の立場を取ります。死刑の執行、あるいは死刑判決には懐疑的な立場をとりながらも、なお抑止力が認められるから、という論旨です。まあ、死刑制度については個々人の信念が出るので致し方ないでしょう。

それでも本書の冷静なところは、犯罪発生、起訴、有罪、実刑などの統計的資料、あるいは財政や矯正政策の現場など、実際の犯罪から刑罰、その後の社会復帰までを丹念に見つめ、現状を正確に把握している点だと思います。そこからどういう結論を導きだすのかは多少異論がないわけでもないのですが、河合氏の説は一理あります(僕は死刑廃止派なのでその点が異なるというだけです)。