2011年7月10日

過去のリミックスとアレンジ

最近知り合った方の中では、僕が一応音楽やってる人間だということをあまり知らない人も多いと思います。

まあ、そりゃそうだ。基本的には楽器の演奏家ではないし、自分の作品というものを出したこともないので、分かりづらいんでしょう。

基本的には僕はレコーディング&ミキシング・エンジニア(いわゆるミキサー)として活動しつつ、場合に応じてリミックスやアレンジを依頼されたり、勝手にやったりしています。自分で曲を書くことも本当に稀にあるんだけど、メロディを書くよりも全体のサウンド・デザインの方に興味があるっつーかなんつーか。(サックスを手にしたのはその反動といいますか、こうした作業はほとんどコンピューター内でやっているので、チマチマやってるのに嫌気が差してしまうこともままあったりするんですが)

で、過去にリミックスやアレンジを手がけた作品はかつてのサイトにアップしていたりもしたんですが、ブログに切り替えてからはたどりづらいので、SoundCloudというサイトにアップしました。

http://soundcloud.com/impactdisc

興味のある方はどうぞ〜(興味のない方はパスってくださいw)

 

純粋にエンジニアとして参加した作品は、本来それぞれのアーティストのものなので、勝手にアップするのは自重しておきます(そのうちダイジェストとかは作るかもしれない)。

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コメント[4]

mixiでもfacebookでもtwitterでも仕事関係のひととの接点が多くなっちゃって、自分の音楽のことアピールしづらくなっちゃって自信が持てなかったんだけれど開き直ることにした。10年経ってまぁまぁと思えるならば誇ってもいいだろう。

突然お便りいたしました。
私は、30年前高校生のころ浜松のクレッセントの常連でした。
お父さんには1からJAZZを勉強させていただきました。お母さんもたまに店ににいていろいろアドバイスを受けました。
今でも、ロンカーターのピッコロやチックコリアのスペインを聴くと当時のことを鮮明に思い出します。
怖かったですよ、お父さん。ふざけて聞いていると、「帰ってくれ」とおくからボソッと言う。たまに「この演奏について何か感じないか」と質問され「わかりません」というと、やはり「聞いていないからわかんないんだ帰れ!」と一喝。でもそのおかげでJAZZをみんなの何倍も楽しめるようになりました。本当に感謝しています。高校を卒業してからは県外にいってしまいお店からは遠のいてしまいました。地元のラジオでJAZZについて登場していたとうわさに聞きましたが、10年前に亡くなっていたんですね。お母さんも昨年亡くなったんですね。卒業してからもつながっていればよかったと後悔しています。また連絡しますね。

>田中様
書き込みありがとうございました。あらためてメールも差し上げます。
30年前というと私が6歳ですね。まだコンサート主催も始めたばかりのころかと思います。
父のエピソードは、私の知りうる範囲でもそんなことがしょっちゅうありました(笑)。
ラジオは、FM静岡(現K-Mix)のOne O'clock Jazzという番組です。
最初は店に取材に来たのですが、父のことですので、相当にダメ出しをしまして(笑)、構成にかかわるようになり、後に「ミッドナイト・ジャズ・ランド」という後半のコーナーに出演するようになりました。さらにその後、コーナー自体が番組に昇格して、構成と月イチの出演をしていました。

もうお店も閉めて20年経ってしまいましたし、父母も他界してしまいましたが、多くの方のご記憶に留めていただいていることに感謝しております。

よくよく考えると(本エントリーから脱線しまくりですが)、うちの親父は、自分にしか明確に答えのないことを質問して、相手を困らせることが多々あったような気がする。答えを聞くとなるほどと思うけど、そんな漠然とした質問に答えを1つしか用意していないというのはずるいな、と思ったことは何度もあった。

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