2009年5月24日

リーガル・リテラシーの必要性

某大学教授が刺殺された事件に関して、容疑者が逮捕されました。
それが2、3日前のこと。

で、相方のお友達がその容疑者と同窓だったために、
複数の新聞社・雑誌社からアクセスがあったそうです。
電話がかかってくるくらいはこれまでにもあったパターンなので分かるのですが、
mixiでも呼びかけがあったとか……はぁ。

そんなマスコミの対応は別にして、
事件はそのくらい身近で起こるという認識は必要かと思います。

よく言われることですが、7~8人たどると大体どんな人ともつながりがあることになります。
例えば僕→ラーメンズ小林賢太郎氏にしたって、2~3人で行き着いてしまうんですから。
……まあ、直接サインをもらったことがあるとかなら間はゼロですけど。
こちらからアクセスできるかどうかは別としてもね。

同時に、世の中というのはそのくらい事件や事故にあふれているし、
我々の日常というのはそういうものの総体としてあるという認識も必要です。
よく知っている人が犯罪に巻き込まれる可能性も否定できないし、
逆に加害者になる可能性だって否定できません。

……と考えすぎると疑心暗鬼になる恐れもありますが、
同時に、今起きている事件についても、
そのくらい身の回りにあるんだという認識は必要です。

僕が法学部を志した理由は、そこにありました。
中学のころ、ある少年事件に関する記事を読みました。
そこでふと思ったんです。
「僕の友達が、事件を起こした少年たちと同じことになったらどうなるんだろう」
たとえどんな事件を犯したとしても、ほんの数年前までは一緒に遊んでいた友達。
何があって、そんなことになったのか……そこには何か事情があるんじゃないか?
ただ事件だけをもって、その人の人格すべてを否定することはできないんじゃないか?

そこが僕の出発点にありますし、今でもそう思っています。
もちろん個人的な人の好き嫌いはもちろんありますし、
誰にでも優しくできるほど人格者ではありません。
だけど、裁きを受けるというのは大変重いことです。

……というのを、昨日テレビで裁判員制度について報じているのを見て思いました。
制度そのものについては意見したいこともあるけれど、
懲役何年だとかましてや死刑だとか、当事者になると軽々しく言えないという感覚を、
国民全体がシェアできるようになればいいのに。

その意味で、リーガル・リテラシー教育は必要でしょうね。

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