2009年8月20日

東浩紀の描くゼロ年代とテン年代

佐々木敦『ニッポンの思想』(講談社現代新書)を読了しました。

ものすごく大ざっぱに言うと、浅田彰が『構造と力』で言ったリゾームというのは今で言うネットワークに近いもの。で、それに多様性があると言えばあるんだけど、権力からの監視ではなく、一種の相互監視……というかシステム的な監視状態になる。それは社会安定を指向する上で“仕方ないもの”だと。と同時に、萌えというキーワードを通じて、そのバックグラウンド・ストーリーではなく、萌える構造の再生産に対して消費していくオタク的な有り様は、動物化、もっと言えば家畜化だと。ううむ。理解が間違っていたらゴメンなさい。そして僕は乱暴にまとめ過ぎていますね……。

東さんの原典を読んでいないので、何とも言えないんだけど、これはあくまで2009年の現実社会から振り返ったときに、東浩紀が設定したルールなりゲームなりが正しかった。その意味で佐々木さんが認定した東さんの一人勝ちであって、本当は誰も、今のニッポンの思想界では勝っていないんじゃないか、という気もします。

しかし、今の世の中のチキンレースっぷりはおかしいです。派遣切りがあり、正社員のリストラがあり、取締役は株主からの解任があり、株主は株価の暴落に怯える。勝ち組とか負け組とか、そんなことじゃありません。勝ったと思ってもほとんどの人がいつかは負ける。

僕の恩師は、“社会文化構造論”なる論文を書き、権力構造の頂点は“官僚制度”にあるとして、権力構造内での競争が社会にさまざまな問題を起こすとしていましたが、これを“直感”で書いたのは今考えてもすごいなと思います。これに対抗する方策は「人間関係の権利」だという恐ろしいことを言っていますが、恐らくそれも正解だと僕の直感も言っています。

前述したような東氏の認識では、現状は勝者などいない、全員が状況の奴隷とも言える状態のではないかしら? そうなると、その状況を打破する力は何かと考えたら……怖いことに歴史はファシズムかナショナリズムだと言っている気がするんです(決して村上龍の読み過ぎでそう言っているわけではないです)。ただし、ナショナリズムやファシズムがもたらすのはこうした閉塞状況の打破という一時的な対処であり、根本的な問題解決には至らないでしょうね。

うーん、もうちょっと勉強してみます……。

しかし佐々木さんの提唱する“テン年代”という言い方は、なんだかなぁという気がします。10年代でいいんじゃないのかな? まだその時代が始まってもいないのに、言外に含意させるのは僕はあまり好きではありません。

 

さて、平凡な日記。

今日は六本木で取材。場所はSCOREという貸しカフェでした。

僕の前が、ちょうどうちの会社のほかの媒体で、通訳にMさんを連れてきていました。僕はレーベルの人に通訳をお願いして、テープ起こしだけMさんに頼むつもりだったのですが、こういうシチュエーションになった以上、彼に頼むのがベストと思い、その場でお願いしてしまいました。本当は仕事のやり方として褒められたものではありませんが、こうした臨機応変もたまには必要でしょうかね。

 

夕方会社に戻って、今月までやっている本来の仕事に戻ります。キリになったので21時前に帰宅。

ご飯は天ぷらでした。

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