2009年12月 6日

格差社会と子育て

内閣府が、5日付で「男女共同参画社会に関する世論調査」を発表しました。ソースは毎日.jpです。

 

結婚しても必ずしも子供を持つ必要はないか(回答者3,240人)で、賛成22.5%/どちらかといえば賛成20.3%/どちらかといえば反対30.1%/反対22.8%

特に20代の63%、30代の59%が「子どもを持つ必要がない」側であったそうです。

 

この結果に対して、松尾貴史さんがtwitterで「言い切りますが、教育が悪い。反論は受け付けません」とおっしゃっていました。

僕は思いました。キッチュさん、ちょっと待ってくださいよと。

 

僕ら20〜30代の多くは、今の世の中では自分のことで手一杯だし、子どもを作ったとしても幸せに育てられる自信が無い。だから子作りをためらう人だって多い。でもこんな恣意的な質問の立て方されたら「必要が無い」に手を上げることになる。それをひとえに「教育が悪い」と言われたら、そりゃ違うよ!と言いたくなって反射的に反論してみました。

これに対して「必要が無い、と、無理だ、を混同するな!」というツッコミをいくつか頂きましたが、混同しているのは内閣府の設問の立て方であり、ワタクシ宛の批判にはなっていません。あしからず。

 

松尾さんの議論の力点は、子どものありのままの価値を認めるべきであり、それを「必要性の有無」なんて言葉でくくること自体がおかしいだろ?ということでしたので、僕としても全く異論はないです。松尾さんはそれでも教育が悪いという点にこだわりを見せるのですが、僕はそこは留保したいと思います(強いて言えば、家庭の維持・家族関係の構築という点において、教育の一義的責任は家庭にあると思いますので、学校教育ではなく家庭教育のあり方の話だと思います)。まあ、そこでは大きな差異は見られなかったので、キッチュファンとしてはホッとしました。

 

……とまあ、そんなやり取りをtwitterでしていたのですが、同年代(既婚)からは「子ども? 無理だよ!」との意見が次々来ました。

それぞれ個人的な事情もあるだろうし、経済的な事情もそうだろうし、いろいろあると思います。

 

子どもを持つことが「幸せ」だという価値観がこの数十年で崩壊してきたのではないか?と指摘していた人もいます。

かつてはイエ制度がありました。つまり、子どもは家督・家業を継ぐ存在であり、自分の財産の継承者でもあったわけです。そして老いていけば、子どもが仕事や自分の財産を継承する代わりに、隠居生活ができた……まあ個人年金みたいな考え方ですよね。それが昭和の時代に崩壊してしまったわけです。特に我々の親は団塊の世代に相当するので(個人的には親は団塊より上で自分は団塊Jr.よりちょっと下)、都会に出て行く。すると親の仕事も継がなければ土地も家も継がない。そこでゼロからスタートしていくわけです。それであっても経済成長+終身雇用制度で、ライフプランが立てやすかったと。

 

ところが、我々の世代になると、経済成長もしてないし終身雇用でもありません。ただ、問題はそこにあるわけではなく、いまだに国の政策がそうした社会のモデル転換を反映できていない点にあります。

 

30代のリアルな感覚で言えば、自分の衣食住をキープしていくので精一杯、というところだと思います。例えば「住」だけ考えても終身雇用でもないから安易にローンを組むのもためらわれるし、かといって蓄えもないし、耐用年数35年の家なんて買っても仕方ないし……と、ため息をつくばかり。ボーナスが出るか出ないかも分からない状態で、次の賃貸契約更新をどうしよう……悩むという話もリアルです。そこに自分(と配偶者)へ100%生存を依存するヒトが加わったら……どうなります? ああ……。

僕は決して子どもを望んでいないわけではないのですが、今の自分の生活を見ると、絶望的な気持ちになります。とてもじゃないが、この先二十何年自活できない人間を扶養していくなんて、無理無理。

 

勝間和代流に言えば、インディペンデントな子育てには年収●●●円は最低必要です、という感じかなぁ。

 

「貧乏でも幸せならいいじゃないか」という意見もよく分かりますが、本当にそうかな?とも思います。なぜなら自分や配偶者のことならまだいいとしても、子どもにそんなひもじい思いをさせてくないでしょう。「ひもじい」と言ったって飢え死にするとかそんなレベルの話じゃありませんが、教育機会のことを考えるだけでも、どれだけコストがかかるのか……。

 

……と考えると、我々のように「子どもを持つなんて無理」と感じているのは責任感が先に行き過ぎているパターンで、逆に子どもの遺棄致死や虐待を起こしてしまう親は、責任感が欠如している、ということなんでしょうかね。子どもを生んでも、育てられなかったらダメじゃん。

 

……ということで、子どもを生み育てるということについて、今の問題は下記の3つのフェイズが複雑に絡み合っているのではないか、とちょっと考えてみました。

 

●生物学的問題……子どもが生まれること。不妊問題。晩婚化によるいわゆる出産適齢期と高齢出産の問題

●社会的問題……家族関係の構築。子どもをひとりの人格としてとらえられるか? 家族の一員としてコミュニケートするだけの時間、労力の問題。それをサポートする社会的制度の問題(休暇制度、保育所と待機児童など)

●経済的問題……養育費。生活費と大学卒業までの学費(教育格差)、衣食住のリスクヘッジ

 

しかし、社会的問題の半分くらいは実はカネで解決できてしまう、という恐ろしいことに気がついてしまいました。うーん……格差社会。

 

なんの結論もないままただ書き連ねてみました。ただ、今子どもがいる、あるいは妊娠している友達は、幸せそうだなとは思いますし、幸せであって欲しいなと思います。

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コメント[3]

これも自然淘汰なのかな。

社会的問題、経済的問題は都会と地方でちょっと状況は違うと思います。
もちろん格差を感じる事はありますが、平均的な家庭なら子どもが居ない理由は生物学的問題が一番多いかな。

あ、そうです。僕は都市生活者基準で書いています。
でも人工分布を考えたらその前提は局所的な話ではないです。

以下、twitterで書いたことのコピペ。

家族関係論教育は家庭内教育の問題と書いたがそれは間違いだよな。だってその家庭の価値観しかないんだもん。もちろんそれでも教育的なのかもしれないけどそれを家庭のみに依存するのはおかしい。じゃあ学校教育ではとうか? そんなの授業にあった覚えがない。かろうじて生物学的な面で保健体育。社会科でも家庭科でも授業にあった記憶なし。そもそも僕らの年代の男性は中学以降家庭科がなかった。おかしいだろ、それ。

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