2011年3月15日

地震が起きてから4日間のこと

3/11

その日は会社で特に急ぐべき業務もなく、GarageBand for iPadの検証と称していろいろ遊んでいたりしたところ、急にガクンという揺れを感じました。

 

あら、これはやばいかも。と思って慌てて着席すると、どんどん揺れは大きくなります。後ろの席の同僚が離席中で、20枚ほど積み上げたCDが倒れそうになり、手を伸ばしましたが届きませんでした。

業務に使っているコンピューターはiMac 20"で、非常に不安定です。他部署ではもっと大きなディスプレイが倒れたとのこと。

 

すぐに相方にCメール(auのショートメール)を送ろうとしましたが届かず。会社のネットワークは無事で、Twitter経由で安否を確認しました。

 

ところが交通機関が全く動かない。夕方18時くらいに、こりゃ泊まりになるかもと思って近くのセブンイレブンまで行くと、日配品(弁当・パン)は見事にソールドアウトでした。

 

帰宅をあきらめかけていたとき、ボスが「猪瀬直樹が20時ころ南北線が復旧する見込みとTweetしている」と教えてくれたので、とりあえず駅に向かうことに。

会社近くの自転車屋には20人くらいが詰めかけているのを見ました。

 

待つこと1時間くらい。21時半ころに南北線〜埼玉高速鉄道が運転再開。荒川を超えたところで降り、家まで歩くつもりでしたが、運良くバスを捕まえて最寄りの1つ前の駅まで乗って行きました。

そこから歩いていると、並行して歩いていた男性陣の会話が聞こえてきました。

「今、歩き始めてちょうど2時間だ。あと3駅」

……お疲れ様です。

 

家に帰ると、自室は窓際に置いていたコンテナが倒れてケーブル材料などが散逸。

GENELECのスピーカーが倒れていましたが一応無事のよう(その後通電確認していません)。

 

3/12のイベントはキャンセル。当然取材も無しとなりました。

 

その日は余震が怖くてどうにも寝ることができず、朝方まで報道を見て、就寝。

 

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3/12

 

相方も休み。自宅周辺を散歩してみると、屋根瓦や外壁が壊れた建物を散見。

 

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3/13

 

相方は出勤。自宅でカレーを作る。

初めて土鍋でご飯を炊いてみる。

炊飯器の内釜で水量を測り、30分浸して、沸騰するまで火をかけ、そのまま5分弱火で熱する。20分蒸らせば出来上がり。意外と簡単。

計画停電の報道を見てから寝る。

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3/14

出勤しようと思っていたが、電車が動いていないので自宅待機。

相方は出勤なので駅まで行ってみると、駅舎にすら入れない状態。

スーパーに行ってみると、レジから反対のエンド(2ブロック)まで人が並ぶ。

相方は午後には仕事終わりになることになったので、迎えに行ってみると、電車動いてる...

まあ緊急を要する仕事はないのでよしとしよう。

計画停電とは言いつつ、うちのエリアでは実際の停電は無かった。

ご飯はカレーと冷飯を温めて食べる。

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今一番気がかりなのは、福島原発のこと。

万が一のことがあると(あっては困りますが)、しばらく自宅から全く出られなくなるし、インフラだってどうなるか分かりません。

しかし、冷静に行きたいと思います。

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2000年に父親が亡くなって以降、僕の中にはある種の諦念が常に宿っていて、どうせなるようにしかならないと、流されるように生きてきています。端的に言えばビジョンが無い。未来予想を抱いていない。これは僕自身の大きな欠点として自覚はしていますが、ある意味では強みになることも認識しています。

なるようにしかならないけど、そのときになって慌てないように、冷静に。

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