2011年3月16日

苛立ちと怒り

今週は今のところずっと自宅待機しています。

昨日、近隣の商店街に勤める家人を迎えに行こうとしたところ、あちこちのお店で「節電中」との張り紙が。しかし、看板は消灯していても、客もまばらな店内には煌々と照明が灯っていたりして、苛立つことも多々ありました。

家人と合流したところ、職場でちょっとした口論があったそうで、これだけピリピリしている状況だとそういうこともあるだろうと思いました。

 

さすがに先週末から5日間も自宅にこもっているとイライラしてきて、つい思いもしないようなことをネットに書いてしまいそうになりますが、そこはグッと飲み込みます。

匿名の人なら、そういうことをしてしまうことがあるかもしれません。しかし僕は、ネットは実名でつきあうべきだと思っているので(あくまで個人的信念ですが、そこは社会の延長であるからです)、自分で責任を負えないことを書くべきではないと思っています。

 

そもそも、さまざまな苛立ちや怒りの原因は、そのほとんどがコミュニケーションの不全にあると常々思っていますが、必ずしも相手方がコミュニケートできるとは限らないので、ある程度のガス抜きは必要となってくるでしょう。

 

そこで大事なのが、人と話すことだと僕は思います。家人の愚痴は僕が受け止めるし、僕自身も決して家の中から出せないような汚い罵りをすることもあります。

こうした負の吐き出しだけでなく、ポジティブな行動の吐き出しも役に立ちます。例えばコンビニやスーパーでお釣りやレシートをもらったときに、「どうも~」と一言言うだけで、結構気分が違ってくるものです。

 

記者会見を見てイライラするのは、インタビュアーとインタビュイーのどちらか、またはその両方がコミュニケートせずに一方的な情報を押し付け、または引き出そうとするからでしょう。そんなんじゃうまくいかないと、わずか10年ばかりのメディア人としての体感として思います。

(もちろん挑発して情報を引き出すテクニックというものがあることは知っていますが、あまり有効に機能したところを見たことがありません)

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