2010年10月 2日

あれから10年

10月3日で、父親が亡くなって10年になります。

 

まだ夏に入る前のことだったと思います。母親から電話がかかってきて、父の様子がおかしい。病院に入れたけど、病院から話があるので一緒に聴いてほしいと呼び出されました。しかも本人には内緒で。

僕も若かったもので、最悪の事態をイメージできませんでした。

 

 

 

当時、うちの両親は、浜松で一番大きな病院の真裏に住んでいて、父の病室からはうちまでの道が丸見えだと聞いて、わざわざ迂回して病院の正面玄関にたどりつきました。

 

担当の先生から話を聞くと、すい臓がんで、あと半年だろうと。何のことを言われているのかさっぱり分かりませんでした。本人告知はどうするか?と言われて、してくださいと言い、母と(もちろん迂回して)家に帰ました。二人で抱き合って大泣きしました。

 

東京に戻り、それから父が告知を受ける前の1週間は僕自身が生きた心地がしませんでした。食欲が全く無く、一週間で10kg落ち、夜も全く眠れず……。近所の病院に行って睡眠薬をもらうほどの始末でした(一度だけ飲みましたが、怖いのでもう二度と飲みたくないです)。

 

当時僕は修士2年で、博士後期課程に行くつもりではおりましたが、鳴かず飛ばずの中で苦しみ、もがいていました。そもそも学部時代とは専攻を変えて、何をテーマにしていいのかもまだいろいろ迷っていて、担当教官に与えられたテーマもなんだかよく分からないまま研究を始めていてはいるが、論文の形は全く見えず……という、非常に見通しの暗い中で、戦っていました。

それが父が亡くなるとなると、もうそのルートを歩むことはあきらめなければなりません。金銭的にも無理だし、僕自身もすっかり緊張の糸が切れてしまいました。

 

そこから、父に告知がされ、電話で報告を受けて、また帰省し、時々は会いに行ったり、両親が思い出作りにと横浜まで来たりなどして、入退院を繰り返しながら経過を見ていたのですが、確かあれは10月1日。その週末に帰ろうと言っていたときだったと思います。母から朝、涙声で電話がかかってきました。

「お父さんがおかしいの。言っていることが、訳がわからない」

あわてて帰ると、父は病院のベッドに横たわっていて、目が覚めた瞬間に訳の分からないことを言って、またパタンと倒れこむように寝てしまいました。

今から思えば、多臓器不全で血糖値が急激に増えて、意識障害が起きていたんだと思います。

その晩、母がつきそっていたのですが、非常に大変だったと聞いて、翌10月2日には僕が交代しました。いや、これは本当に大変でした。

深夜、トイレに行こうと起き上がるのですが、点滴につながっているので、そんなのは無理な状態です。そこを寝かしつけようとしたのですが、父は高校時代はラガーマンで、身長こそ僕より少しだけ低い173cmでしたが(僕は176cm)、体重は90kg程度ありました。しかも、意識障害=加減が効かないので、力もものすごく強くて、文字通りベッドの前で僕とがっぷり4つに組んだまま、止まってしまったのです。

ここからが大変で、父親、まして病人を蹴倒すわけにもいかないし、ナースコールのボタンにも手が届かないしで、1時間ほどその状態のまま固まっていました。相撲だったらとっくに水入りです。1時間後にはなんとかベッドに座らせて事無きを得ましたが、全くもって、これはなんとも言えない、厳しい思い出です。

 

翌3日の夜に父は亡くなりました。容態が危険になってきたので、母はいったん家に戻ったりしているうちに逝ってしまったりしないかとか、ずいぶんやきもきしたのを覚えています。

 

そのまま、入会していた互助会の葬儀場へ運ぼうとするのですが、車に乗せてから会場の空きが無いと言われて、仕方がないのでほかの葬儀屋の会場にアタリをつけて、そこまで運んでもらうということもしました(苦笑)。

 

で、葬儀の準備をしたのですが、父の手帳を開けると、そこにはどの曲をかけろとか、誰に何を演奏してもらうとか、全部指定してありました。あわてて家で該当するCDを探してまとめていたら、「あ、この人、自分の葬式をプロデュースしてるわ」と思って、泣き笑いしました。なんていうか、「ひどいなー、こりゃ泣かしにかかってるなー」という選曲だったのです。

 

今年、急逝した母の葬儀も父と同じようにしてやろうと思って、当時の父の手帳を探し出して、ちょっとだけ参考にしました。やっぱり父と母では、好みも少し違いますし、僕なりのセンチメンタリズムともちょっと違うので。でも大変参考になりました。親の言うことは聞いておくものです。

 

そこからは、このブログでも何度か書いているように、僕自身はバイトで今の会社に入り、そのうち母がこっちに引っ越してきて……数奇な運命をたどっています。

このエントリーで一番いいたいことは、10年前、あれだけ絶望して、何ともならないと思った瞬間があっても、今なんとかやってきている。これは奇跡的なことだけど、反面、ある程度は自分で切り開いてきた部分もあるんだなという思いがします。

 

そんな10月3日に母の納骨です。

僕は天国とかそんなものがあるとは思っていないけれど、仮にそういうものがあるとしたら、あっちでもたぶん両親は一緒だろうなと思います。

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コメント[4]

心に「えいっ」と小石を投げ込まれた気持です。
(悪い意味ではなくて…言葉足らずで申し訳ありません)

読んでいて、涙が溢れて来ました。

訳の判らないコメントで、すいません。
何か一言残したかったのです。

>雀さん
人によって受け止める点は違うと思うのですが、
僕が特にあなたに言いたいのは、どこからでもスタートは切れる、ということです。
もちろん社会の仕組み的にはそうなっているとはとても思えないことは多々ありますが。
(僕は運良く25歳で新しいスタートを切ったんですが、実は年齢とか、そういうことはあまり関係ないんじゃないかという気はします)
自分の幸せをつかめるのは自分しかいないと思います。
もちろん、それが僕の場合は家族に支えられているということはありますが、
そこだけは曲げてはいけないと思います。

 うーんなるほど、あの時分、そういうことがあったんだねえ。
 ご苦労様でした。

 そっかー、僕は自分の葬式で何をかけよっかなあ。

 ムック2冊買って、近々もう1冊買うつもりで、友人に配ってます。

>師匠
そうなんですよね〜。

お買い上げありがとうございます。市場の反応はまだまだ分からないんですが、意外?にも業界でウケてるらしいです。

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