2009年10月10日

勝間和代を呪ってみる

相方が実家に帰っており、ちょっとだけ仕事をしなくてはいけないことがあるだけで特に予定の無い3連休は宙ぶらりんです。ふと気がつくと、昨冬から春にかけて20kg減量した僕はこの季節に着る服が少なく、昨日あわててタンスから出したパーカーはひどくブカブカという始末だったので、午前中近所のユニクロに行って買い物。ついでに香山リカ『しがみつかない生き方』(幻冬社新書)を買ってきて読みました。

この本を手に取ったのはAERAで勝間和代と香山リカが対談したそうで、本誌は読んでないのですが一部をWebで読み、『しがみつかない生き方』で勝間批判……というよりも、勝間的な生き方を全員が目指す必要はないんじゃないか?という提言をしているらしい、ということに関心を持ったからです。

 

『ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール』という副題のついた本書で、香山がしがみつくな、としている項目は、お金、仕事、恋愛、生きがいなどなどと挙げられていますが、個人的に最も共感を持てたのは「仕事」でした。

香山リカは精神科医ではありますが、もともとなりたくてなったわけじゃない、と本書で述べられています。それでも働かなくては食べていけないから働く。仕事を無くすことは死活問題であるので、その中でベストを尽くし、粛々と職務を遂行していくことによって、技術もつき、信頼も得る。それ故に望んでいた仕事ではなかったとしても、働くことへの幸福感へとつながってきたということを個人的な体験として語っていました。

この点は、僕の個人的な経験とも重なるし、同じように感じる人も多いと思います。

 

僕は、弁護士になろうと思って大学の法学部に入ったわけですが、入ってからいろいろ思うところがあって研究者になろうとし、何とか修士課程までは出たけれどもいろんな事情が重なって勉強を続けられなくなり、もともと愛読していた雑誌の編集部に潜り込んだ……という経緯で今の仕事をしています。学界に未練は無いというか、むしろ今から考えれば向いていなかったんだろうなと思うこともあり、あるいはもっと違うアプローチでこういうことをしていれば続けられたかもしれないと思うこともありますが、それはすべて「仮定」の話でしかありません。

たまたまこの学生時代に身につけた考え方や視点は今もって僕の大きな糧であるし、文章をライティングする力、論理的な思考力、議論の仕方などの訓練の場として、偶然今の仕事につながっていることもあるでしょう……ということを、先日の“編集者になるには”という話題と絡めて書いてみようかな、としていた矢先でした。

 

閑話休題。

問題の「<勝間和代>を目指さない」とする項目ですが、勝間さんはしきりに、努力すれば成功するんだ、そういう最短の方法はあるし、そう決めたら無駄なことはしないで注力すればそんなに難しいことではないよ、と説いています(少なくとも僕の理解ではそうです)。

いや、しかしね、そうやってうまく立ち回れること自体がある種の才能であり、多くの人はそんなことできないからあなたに憧れてるんだよ!と僕はツッコミを入れたくて仕方なかったんです。

香山の指摘では、勝間さんのような人にあこがれ、努力して、それでうまくいかない・できない人たちが「私は努力してもダメだ」とその責任を自己転嫁してしまうことへの恐れ、そしてそこに対する言及が勝間さんから無いことを指摘しています。まあ、そりゃそうですよ。そんな失敗を前提にしたら勝間さんのスタンスで物は書けなくなりますから。

ただ、僕自身は香山リカが本書で書いているようなスタンスで生きています。野心とかそういうものが一切無いとは言いませんが、何かがうまくいったとしても、どこかで落とし穴があるかもしれないし、どん底に見えてもどこかで光明が見えてくるかもしれない。自分で責任を持って行動するけれど、その結果について反省することはあっても後悔しない(なぜなら無意味だから)。一時はちょっとそうした考えが行き過ぎて斜に構え過ぎていたこともあったのですが、最近はようやくバランスが取れてきた感じが自分でもあります。

考えてみれば、「勝利の方程式」みたいなものって陳腐化するんですよね。仕事でも、「これなら絶対うまくいく」と思って進めてみたものが、結果的には首をひねるようなこともあるし、むしろ大事なのはそこを新たな立脚点として、次の一手を考えることじゃないかとも思います。

 

えーと……また閑話休題。

AERAの対談については、勝間が提唱するインディペンデントな生き方を香山もしている以上、そこへのツッコミが甘い茶番である、という批評もWeb上にあったのですが、それはこの対談の批判としては正解かもしれません。しかし、香山が本書で言うのは「その生き方を自分に強いる必要はない」ということです。勝間和代は、自身をロールモデルとすることで「成功を勝ち取れ」というメッセージを発信し続けているのですが、香山リカは自身をロールモデルにしてもらいたいなんて毛頭思っていないはずです。香山リカ自身は、自分の選択してきた人生が幸福だとは断定していないし、その確信も無いと思います。あえて言うならば「普通に生きてきた」(ちょっとは派手かもしれないけどさ)というくらいじゃないでしょうか。確かに社会的に見れば成功者で、自身でも病院や大学で「正規労働者」として職を得てきたことについては幸運だったと書いていますが、その反面、そこから転げ落ちる可能性も否定しきれないことは自覚しています。

僕は逆に、勝間さんのように“自分は成功している”と自己認識している人が大きな失敗をしたときにどういう行動を採るのか、という点に関心があります。まあ、でもね、勝間さんくらいの人だと、多少のことはちゃんと自己修正・修復できちゃうんですよ。よほど決定的なダメージでも無い限りは。そこからの回復劇が見たいがために“決定的なダメージ”が来ないかと呪ってみたりする……のはやり過ぎです。このエントリーのタイトルは、タイトルとしての引きを作りたくて過激に書いてみたまでです。

ただね、例えば僕の相方はときどき強い自己否定に苛まれて煮詰まったりもするし、僕や相方の友達がいろいろ生きづらさを感じて苦しい思いをしていると吐露しているのを見ると、「ああ、なにもそこまで深刻にならなくてもいいのに……」と思うことは多いんです。なんでそんなことで……と思うこともあるけれど本人にしたら大きいんですよ、そういうことは。そうした問題や課題に直面したときに「そんなもん根性で乗り切れ」という根性論では乗り切れないことだってたくさんあるし、そうでなくてうまく気持ちを切り替えていく方法だってあるよ、ということを僕は言っておきたいのです。たとえ小さな声であっても。その意味では、姜尚中さんの『ニッポン・サバイバル 』(集英社新書)と並んでお薦めしたいです。どちらもサラッと読めるライトなものですし。

もう一つ。「生きづらさを感じるなら、いろいろなしがらみにとらわれずに……」となると、思わずかつての宮台真司のように「終わりなき日常をまったり生きろ!」と言いそうになりますが、この『しがみつかない生き方』はそれとはちょっと違うと思います。終わりなき日常であっても、それなりに真剣に、プラクティカルな課題に立ち向かっていかなくてはいけないのは確かです。でもその中で、そんなに自分を責めたり、深刻になる必要はない。“○○してるのに”“○○してないのに”という○○にとらわれて、自分の努力・能力が足りないせいだと考えないで生きましょう、というのが本書の大意であると思いました(行間読み過ぎですかね?)。ただ、その中でも“普通の生活さえ望みづらくなった”ことはアメリカ的新自由主義が原因であると香山は指摘しています。その点についても同感です。

でも、↓という本も書いているんだよね......二枚舌だったらどうしよう?(笑)。気になる。でも「何かにすがるからそのせいにしたくなる」と考えれば納得。

 

一応勝間さんの本も参考までに↓

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.impactdisc.net/mt/mt-tb.cgi/207

コメント[6]

実は某勝間さんというお方は、最近まで全然知りませんでした。
なんだかマスコミでやたら人気があるようですが、正直理解できねぇ。

どっちかというと、香山先生の顧客側(患者ともいう)としては、香山先生派です。(ちょうどかかりつけ担当医も香山先生と同じぐらいの女医さんだし)
まぁ、専門分野が経済VS精神医療じゃ、とこまでいっても平行線にしかなんないような。

僕は「なんとなくの印象」ではなくて、両方を読んだ上でどっちが自分の考え方に近いか、共感できるか、という視点で書いただけです。残念ながらAERAの対談は読みのがしてしまったので、誰か見せてー!
……というのはともかく、決して専門分野が違うから平行線、というのはちょっと違うと思います。
正確に言えば、香山リカは勝間和代批判をしたわけではなく、「勝間和代に代表される」ビジネスノウハウ書を鵜呑みにして、そこで示される努力をしまくった挙げ句、疲弊してしまう人が多いという指摘をしているわけで、そうした人に対して、もうそんな努力なんかしなくてもいいんじゃん?と言っているわけです。僕もそう思います。
それに対して(順番は逆ですが)何がリスクか分からない時代だからこそ、リスクヘッジとして自分の“基礎体力を上げておこう”と言うわけです。原則的には、これも間違ってないと思います。
ただ、勝間さん、極端だな……と思いますね。シングルで、お子さん3人いて、あれだけパワフルに働いて、Twitterもガンガンやりまくって、「女が自立して生きていくには最低年収600万は必要」とか言って。まあ、勝間さんの世界観としてはそうなんでしょうけど、それは鵜呑みにしようたってできませんよ。
上野千鶴子×深沢真紀の対談で、これは勝間さんがバブル世代だからだと指摘していますが、僕もそう思います。ノリが違う(笑)。上野千鶴子がゼミに勝間さん招いたら、ゼミ生の腰がひけていたと言うんですから、まあそうでしょうね。
ちなみに↑の出典は↓です。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090518/195052/

むーん。BPの会員じゃないと以下の記事は~(略)

平行線、ってのはちょっと書き方がよくなかったですね。
香山先生は職業柄、周囲のためや家族のためや、ワケのわかんないポジティブ思考に振り回されて、がんばりすぎちゃって調子悪くなった人をさんざん診てきた立場だと思うので、予防医学の面から書いてるんじゃないかと思います。
というか私も周囲のわけのわからんイケイケ状態に合わせてたら具合が悪くなったし。

600万とかバブル世代とか、なんか具体的すぎ(笑)。
そういえばバブルの頃の、ある意味勝間さん的なマスコミの人気者が上野さんでした。

Twitterに書いちゃったけど、友達に「生きづらいと感じている人が増えている」んじゃなくて、世の中にそう感じている人の割合が増えているから、友達にもそういう人が多くなってきている、ということなんじゃないか?と思いました。

……ということは、僕は最初「世代」の問題かと思っていて、(主に)年下の人たちに対する年長者としてのメンター的役割を多少でも果たせたらと考えたところもあったのですが、それよりもむしろ「時代」の問題としての側面が大きいのではないか?という気もしてきた。むーん。

全然関係ないけど、まほっぴが書いているみたいに、僕も相方も、考えごとしているときには「むーん」って言ってますね。ライダーズファンだから?(笑)

勝間和代って、名前がすでに勝ち組っぽくて苦手です。
この人、ものすごい感覚でtwitterでつぶやいていますね。たえず手に何か機械をもっているのでしょう。・・・そんなにいつも情報を発信したいんでしょうか?ちょっとお友達になれそうにない・・・。

>口笛太郎さん
おや、口笛太郎さんもTwitterされているのですか。僕は勝間さんは7人くらいいるんじゃないかと時々思います。Twitterでもフォローするのやめました。
僕はどう転んでも勝間さん的な生き方はしないでしょうね。もうそれは、良しあしではなくて選択の問題です。そして恐らく、口笛太郎さんもそうです。「勝間和代的選択」をしているならば、お互いに現在の仕事はしていないと思います(苦笑)。

コメントする