2013年12月30日

同窓会

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中学の同窓会があって、浜松に行ってきました。

そもそもは、他界された女性がいて、彼女を偲ぶ目的で同じ陸上部のメンバーから拡大した、という話で、正直に言えば親しかった友達はあまり参加していなかったのが残念です。好きだったあの子とか、あの子とか、あの子とか(若干盛ってます。好きだったのは一人だけですが、親しかった女の子は何人かいました)。

とはいえ、普段Facebookなどでやりとりしている人たちに実際に会えたし、全く普段つながってない同級生の、「コイツのこういうところがウザかった」というところまで愛せてしまうのは、時間のなせる業でしょう。

特にうれしかったのはH君と再会できたことでした。中学のころの僕は、シンセが欲しくて欲しくて、そんな話をH君に延々としていたら、彼は買って、高校を出てからヤマハ音楽院に行って、その後誰もが知っている某プロダクションでアレンジャーやディレクターのようなことをしていたのです。数年前に独立したところまでは知っていたのですが、今は廃業して、地元に戻って別の仕事をしていると聞いて、半分ショックだったし、半分はホッとしました。今はなかなか厳しいですからね。

顔を見て分かる人、名前を聞いて分かる人、名前を聞いても分からない人……特に女性陣は見た目が全く変わった方も多く……。そんな中、僕は口々に“変わらない”と言われます。いわく“昔から丸かった”“昔から老けていた”(余計なお世話です)。

彼ら・彼女らの多くの中では、僕の優等生的な面ばかり記憶に残っているようで、僕としては“なんだかなぁ”という感じであります。正確に言うと、僕は大学のときにかなり変わりました。昔はもっとギスギスしていたし、ひどいもんでした。今でもひどいですが、昔はこんなもんじゃなかったです。大学時代に何とか足がかりを見つけて、自分を形成してきたという思いが強いんですね。だからそれ以前のことは、本当に親しかった人のことしかあまり覚えていないんです(嫌だったことはいろいろ覚えていますが)。

だからといって、思い出したくないということもないんですが、今回みんなと顔を合わせてもこういうことがあった、ということはほとんど思い出しませんでした。まあ、二十数年も昔のことですからね。

 

地元開催なので、当然地元の人の割合が多く、山内マリコの『ここは退屈、迎えに来て』を思い浮かべるような感覚もありました(婉曲的表現ですが)。もう僕は浜松の人ではないのです。早々に翌朝家に帰ってきて、こうしてタイプしているのが一番落ち着く。そう、写経のように(笑)。

実は、同窓会幹事というのが卒業時に決められていまして、僕はクラスの幹事になっていたのでした。それを同姓の松本に指摘され、重々承知はしているのですが、僕が音頭を取るのは事実上無理なので、君がやってくれよ、おい!と思いましたが。

少し前に在京の5人で会ったのですが、在京会はもうちょっと継続してやりたいなと思います。というか在京勢の参加を増やさないと、話題も合わなくてね。「東京(埼玉だけど)からわざわざ来たんだ〜」で終わっちゃう。

……というわけで、面白かったんだけど、同時にやっぱり僕の地元は今住んでいるところなんだなという思いも強く持ちました。

大友良英さんもこう言っています。

「出身地は自分じゃ決められません。でも「地元」は自分で決めていい。アキちゃんはそれを教えてくれてるんだと思います。」

 

ちなみに、ホテルはダイワネットロイヤルという新しいところを取ったのですが、窓から見た夜明けがとても素晴らしかったです。

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