2013年6月 1日

愛のロマンと憲法解釈

本日、恩師・福田雅章先生のパーティがありました。

会場に着いて、「愛のロマン」と題されていると知りいささか面食らいましたが、そのタイトルの理由はのちの先生のお話から分かった……のかな? まあそんな気がします。

途中でいきなり先生の「講義」が始まりました。私を含む門下生にはよく馴染み深い話でしたが、記念に動画を撮りまして、そのままアップしてもよかったのですが、いろいろ差し障りがあるといけないのでFacebookに友人限定公開にとどめました。しかし、いい話なので、ここに書き起こしを載せます。途中からスタートしていますが、憲法13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と憲法25条1項「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」の解釈についてです。ちなみに先生の専門は刑事政策・犯罪学・子どもの権利ですが、これは自己決定論と、それが想定していない子どもの権利との関係から先生が生み出した「受容と応答」を基盤する関係性の権利の話です。

学部の講義、ゼミは、ずっとこんな感じでした。今の僕の基礎を形作った考え方だと言えます。

ジョークや、あえて逆を言ってみるのも入っていますので、多少分かりづらいかもしれませんが、僕自身が後から読み返すためにアップします。

 

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皆さん、考えてください。個人として尊重されている……あなたがたが一人の人間として個人として尊重されているという感覚はありますか? 「あなたのため」と言ってお子さんを支配していませんか? 「その方があなたにとって幸せなんだ、あなたを尊重するからサッカーをやめて勉強しなさい」と言っていませんか? 個人として尊重する……大人はそれでも「嫌だ」という、自己決定権というものを持っています。自己決定権で、「自己責任があるんだ、オレには。自己責任を取らせてくれ」と。自己決定という力で、自分のその主体性を尊重してくれない限り、個人として尊重されていない。大人はそれでいいです。子どもは自己決定なんてできますか? 自己責任が取れますか? その子どもも“すべて国民”ですから、個人として尊重するってどういうことですか? 遮二無二可愛がること……なんなんでしょう? まぁいいです、回答は後ほど、私の書物を……(会場笑)。今日お見えになった皆様には、本来今日私の『子どもの権利とは何か』というブックレットを差し上げることになっていたんですけれども、残念ながら間に合いませんでした(会場笑)。ですから、住所をこの会のために届けていない人は、帰りがけに住所を書いていってください。住所を書いていない人には送れません(会場笑)。これは近いうちに発送しますので、お送りさせていただきます。

でも一つだけ皆さんに聞いてほしい。夜一人で寝たときに、自分って幸せだな〜と思っていますか、皆さん? (会場で女性答える)おお、素晴らしい。彼氏がいるんでしょう? 彼氏がいなくてなんで幸せなの?(結婚していらっしゃると分かる)あー、そうだね。あなたにも、あばたもえくぼみたいにね(会場から非難)とにかくそのままで認めてあげるよといって自分を是認してくれる人がいるからでしょ? だから幸せなんです。で、自分自身がそうやって認めてほしいんです。そのままでいいよと。今日も私、8時集合なのに11時半にここに来ました(会場笑)。(でもそれを)「昨日徹夜だから仕方ないね」と言って、そのままで認めてくれたんです。そのときにもうギャーギャーギャーギャー言ったらですね、私は幸せじゃないんです。安心と、自信と、そして自由を引き起こしてくれる、その場で是認してくれる。だから幸せなんです。逆に言いますと、次の質問も可能なんです。あなた自身をそのままで認めてくれる人は今いますか? 逆に、あなたがそのままで認めることのできる人がいますか? その関係をきちんと持っているんでしょうか? それがない限り、愛のロマンは成就しません(会場歓声)。

もう1分ください。(憲法)25条。“健康で文化的な最低限の生活”。文化的な生活ってなんですか? きょうび、生活保護を受けている人はクーラーがないと死んじゃうんですけど、そのクーラーはぜいたく品だと言ってくれませんでした。文明的なものは、健康で最低限の文明的な生活(のうち)クーラーは最低限ではないと裁判所も否定しました。文化的と文明的は一緒なんでしょうか?(来場者「違う」)。違う? はい。誰、今違うって言ったの?(来場者「僕です。文明的というのは、物質的に豊かというだけです」)文化的とは?(来場者「精神的に豊かでないといけないと思います」)ということは、文化的とは?(来場者「心豊かで……」)そんなことは「文化」という言葉から出てきますか?(来場者「そこからはすぐ出てこないかもしれませんが」)じゃあ日本国憲法を改正しないといけませんね(笑)(来場者「そんなことはないと思いますが、文化学の専門家としてはそう思います」)おっしゃる通りです。文化ってなんですか? その土地に生えているもの、独自のもの。それが文化です。独自のものというのは、健康で、一人ひとりが独自の最低限度の生活を営むと出ているわけです。独自のとは何か? (憲法)13条の「個人として尊重される」ということと全く同じ内容なんです。

憲法の基本は13条にあって、25条で(……)生活ができない人でも、健康で独自の最低限の生活を営む権利を保証していると。そういう解釈を、このときに話したらしいんですよ。残念ながら、私のこの(……)は憲法学者は一顧だにしてくれません(笑)。

フーコーではございませんが、言説にとらわれましてですね、近代のこういう美しい言葉は、実は「管理のお言葉」として、新たな支配、非常に穏やかな、ゆるやかな、暴力は使わない、管理を使うための言葉として、こういう言葉が使われているわけです。その実態と本質を、我々は見極める目を持たなければいけない。これが私が40年やってきたことでございます。ありがとうございます。

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