2013年3月28日

牧村憲一『ニッポン・ポップス・クロニクル 1969-1989』

牧村憲一さんは、日本のポップス・プロデューサーの草分け的存在です。

私が牧村さんとかかわりを持ったのは仕事を通じてで、具体的には津田大介さんと牧村さん、そして私の上司が登壇した、内田洋行でのセミナーからです。当時、津田さんと牧村さんは自由大学で「未来型音楽レーベルを立ち上げよう!」という講座を開いていて、その拡張版としてこの講座は行われました。

皆さん、覚えていますか? この内田洋行での講座で、牧村さんはこう宣言したのです。

「この講座に出た皆さんは、一人一レーベルを立ちあげなくてはならない」と。

牧村さんは後に「キャッチフレーズが独り歩きした」とおっしゃっていましたが、津田さんは自社にスタッフを抱えてメルマガを発行するようになり、私の部署でも配信レーベルが始まり、私自身もこの年にムックを編集したりと、新しいことが始まる契機になりました。

で、この後、渋谷エピキュラスを舞台に再開される「未来型レーベル講座」に出席もし、私も牧村シューレの末席に加わることになったわけです。“私淑している”と書きたかったんですが、実は門下生でした(笑)。

実は、牧村さんは何か質問を投げかけても、ストレートに返してくださらないことが多いんです。ただ、そこで投げ返される言葉がより深く問題に踏み込んでいて、いつも“ううむ…”と唸ってしまいます。ちょうど、私の恩師に質問したときと同じような気持ちになります。

 

そんな牧村さんの著書『ニッポン・ポップス・クロニクル』が発売となりました。心待ちにしていたので、大変うれしいです。

 

 

六文銭のマネージメントを皮切りに、シュガー・ベイブ、加藤和彦、竹内まりや、大貫妙子、「い・け・な・いルージュマジック」、「子どもたちを責めないで」、ノン・スタンダード、トラットリア&WITSと、まさに日本ポップスの王道を歩いてこられたご本人と、一緒に活動してきた方々(しかもアーティストは高野寛さんしか登場していません。全員バックヤードのスタッフです)しか語り得ない数々のエピソード。各年数ページしか割かれていないのがもったいなくて、アウトテイクを並べたら大著になるのではないかと思うほどです。

すべて牧村さんご自身が通ってきたところのみ言及されているし、何となくその作品背景などを知っていないと、理解しづらい部分もあるのは確かです。

しかし、本書はエピソード集ではありません。その通底には、音楽を生み出すということは音楽的な感性を磨き続けることである。止まってはいけないという牧村さんの強力なメッセージがあると感じました。

僕が牧村さんを最も尊敬しているのはその点です。もちろん、一人の人間にできることには限りはありますが、還暦を超えても貪欲に音楽に向かう姿勢には、背筋が伸びる思いがします。

特に最後にある相倉久人さんへのインタビュー……これは大変重たいです。お前はいったいどんな態度で音楽に臨んでいるのか? 今後、日本の音楽をどうしていきたいのか? 業界の隅っこにいる私でさえ、まるでナイフを突きつけられたかのようにドキッとします。牧村さんは私たちに問い続けるでしょう。定形のあるものは、新しい音楽ではないと。

5年間、昭和音大で教鞭を執った牧村さんの下から、Babi、スカート、カメラ=万年筆、EAなどのアーティストが既に巣立っています。しかし、エコール・ド・マキムラの卒業生は彼らだけでなく、牧村さんと接した我々すべてが、牧村シューレの一員なのではないかという気がしてしまうのです。

 

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コメント[1]

で、ここまで書いた上で思い出したことを補足。
津田さんの言葉を借りれば、牧村さんは“ダイスを振り続け”、時に敗れることもありながらも、トータルとして見れば大きな勝利を得てきました。強運です(もちろん運だけじゃないことは分かった上で書いています)。
自分に振り返ってみると、勝負事に弱いんですよね...。ただ、ダイスを振りまくる人に一生懸命助力するというスタンスもありだとは思うんです。逃げてるみたいな書き方ですが、そうじゃなくて、ダイスを振りまくるということは実働を伴わねばならないのです。自分でも振って、振った人と共に動いて……そのバランスの取り方が重要なんだろうなと思っています。

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