2016年1月30日

高橋健太郎『ヘッドフォン・ガール』

高橋健太郎さん初の(そしてアルテスパブリッシングさん初の)小説『ヘッドフォン・ガール』を読み終えました。

あらすじはアルテスさんのサイトをご覧ください。

http://artespublishing.com/books/86559-129-3/

 

僕と健太郎さんのやり取りが本格的にスタートしたのはここ数年のことで、それ以前も仕事で何度かお会いしてはいたのですが、Twitterを介してのやり取りが増えたころから、仕事でお会いする機会も増えてきました。

あるとき、ヒットラーのマイクをテーマにした小説を思い浮かんだという話は聞いたのですが、それがこうした形で上梓されるまでは、5年近くの時間が経ったと思います。

あらすじにもある通り、一言で言えば、時間を超えたSF小説と言えるでしょう。同時に、前に一歩踏み出すことをテーマにした小説だと感じていました。それは主人公世代がモラトリアムから一歩踏み出す姿だったり、その親世代が新たな人生を歩む姿だったり。そういう離陸の姿が数多く描かれた小説だな、と。そう、途中までは。

時間を跳躍していく、そして人物の視点が入れ替わる中で、僕は、きっとこの人とこの人がこうなるんだろうな、という結末を組み立てました。しかし、僕の予想とは全く違う結末が訪れてしまったのです。それでもショックはありませんでした。なぜか、それ自体も儚さとして受け入れることができる、そんなストーリーでした。

僕はこれを通勤中に読んでいたのですが、電車を降りるときに本をパタンと閉じて現実に向かうという行為そのものが、本の世界とリンクしているような気がしました。読み進めたいんだけど、本を閉じた瞬間に、その世界が密閉されるような印象もあり、不思議な、さっぱりした感じがする。これは健太郎さんの文体なんじゃないかなと思います。

実は、数日前、読んでいる途中で健太郎さんに会う機会があり、小説の話をしました。そこで話したことを書くのは、評としては疑問がありますが、それでも一つだけ。健太郎さんは、本書を書くことによって、以後の文体そのものが本書に引っ張られるような感覚があるというお話をしていました。しかし、それ以前から事実(それが実在か架空であるかどうかは関係なく)を描写していくことによってストーリーテリングをしていくパワーは、健太郎さんならではのものだと思います。蝋管時代のことを、ヒップホップを、アルカを語るときと同じような力を持った文体で、これだけ不思議な話が組み立てられ、それでいてサラッとした印象を残すというのは、健太郎さんにしか成し得ないと感じました。

もちろん、健太郎さんの日ごろの音楽研究、録音史研究、音楽制作、そして健太郎さん自身の置かれてきた環境……すべてがあって書き得る話であることも、付け加えておきます。

 

同時に、健太郎さんの大学の後輩であり、健太郎さんと仕事をしている僕には、個人的に思うことがたくさん有り過ぎる小説です。

数々のレコーディング・スタジオや音の現場、モデルがいるかのような登場人物たち、国立のロージナ茶房の半地下の雰囲気とビーフ・ストロガノフ。

そしてよく考えると、物語がスタートする2000年10月初頭は、まさしく僕個人にとって大きな人生の転換点でした。父親が末期ガンだと分かり、まさに命が尽きようとしていたとき……それと同じときに、この物語が始まっているのです。いくら小説とはいえ、僕のそこからの15年を重ねないことはできません。それに気がついたときには、物語の展開以上にショックを受けました。

 

物語の主要な登場人物たちも、別れや出会いを重ねて、自身の新たな一歩を見つめようとしています。それは「希望」という安い言葉じゃなくて、歩んでいくということの価値みたいな、もっと地に足が着いたリアルだと僕は感じました。もちろんお話の上でのことで、そこは幻想的なのだけど、そうした姿勢が清々しい読後感をもたらしてくれているんだろうなと感じています。

健太郎さんがそこに主眼を置いているとは思いませんが、書こうとしたストーリーから膨らませた個々の人物像が、健太郎さんの姿勢とリンクして、前に進む力になっている。健太郎さんはそんな人間の力(もちろん万人にあるわけではないでしょうが、多くの人が持っているもの)を信じているだろうし、それを信じられるのが人間の力なんじゃないかなぁと。僕にとってはそういうお話に見えました。

 

そういう意味で、主人公たちと同じ時代に自分たちの先行きを悩んだ僕の世代の人、それを見ていた親世代の人、さらには自分のアイデンティティに悩む僕らよりも若い人たちにも読んでいただきたい一冊だなと思います。

 

細かい描写で、3点ほどツッコミを入れたいところがありましたが、まあそれは「そういう世界の物語」と考えればいいかなと。村上春樹も昔「VWに水冷式ラジエーターのある世界の話だと思ってください」ということを言っていたし。

最後に、二つだけ謎が残ります。一つは、あの映写機は何だったのか(タイム・トリップそのものの謎は答えが出てきます)。もう一つは、1940年代にドイツで作られたリボン・マイクで録音したベヒシュタインは、どんな音がするんだろう。

 

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