2015年3月25日

Gratitude

サックス・プレイヤー、井上淑彦さんの訃報が届きました。今もって信じられません。本当につらく、寂しい気持ちです。

井上さんが最初に浜松に来たのは、1979年だと思います(記録がすぐには出てこないのですが)。うちの店で、というか父が初めて主催したコンサートで、金井英人さんのバンド・メンバーでした。井上さんはまだ20代で、奥様とも結婚前。僕は幼稚園に通っていました。

以来、森山威男G、鈴木良雄MATSURI、丸山繁雄酔狂座、加古隆グループ、佐山雅弘GOMBO、ING PROJECTなどなど、そして自身のグループと、数々のバンドで浜松にやってきてくれました。というより、こうして書き起こしてみると、井上さんをきっかけにして多くの音楽を知り、父が呼び、演奏が聴けました。

父はよく井上さんに言っていました。

「トシ、そろそろ自分のグループで録音してもいいんじゃない?」

しかし井上さんはなかなか首を縦に振りません。「うーん……まだなんだよね」という言葉を、僕も何度か耳にしています。

1995年から、井上さんは2年半、楽器を置いてしまいますが、井上さんの性格を知り尽くしていた両親は「トシから何か言いたくなったら言ってくるだろうから」とそれを静観していました。実際、ある日井上さんが訪ねてきて、復帰をしたいという話をされました。

当時僕は大学院入試に落ちて悶々としていた時期で、家族三人で井上さんの家に行ったこともよく覚えています。

1997年末の名古屋ラブリーでの森山威男4のライブに行ったことも覚えています。井上さんがサックスを吹いている姿を見ていると、興奮して、泣きました。僕にとって、テナーの音、ソプラノの音は井上さんです。

そして父は「今、トシがベストだと思うメンバーを集めてくれ」と言いました。それがfuseです。

2000年、父の末期がんが発覚し、当時大学院に在籍していた僕も浜松と行ったり来たりの生活をしていました。あるとき、井上さんがやってきて、何泊かしていきました。一緒に、鹿島の花火を見に行きました。そのときの思い出を井上さんは「Fireworks」という曲にしてくれました。秋に差し掛かったころ、どうしてもと井上さんがドルフィーに招待してくださって、家族でその完成した曲を聴きました。

父はその年の10月に亡くなりましたが、葬儀で井上さんに献奏していただきました。fuseのナンバー、「Gratitude」でした。葬儀場の家族室に、2人で一緒に泊まりました。

このとき、井上さんが僕にこう言いました。

「お母さんに“頑張って”と言ったら怒られた。“もうこれだけ頑張っているのに、何を言ってるんだ”と。確かにそうだよな……」

父が亡くなってからも、折々でfuseの演奏を聴きに行きました。僕にはこのバンドの進化を見続ける義務があると思っていました。事実、どんどん進化していくすごいバンドでした。まさか十数年も続くことになるなんて。母が2010年に急逝したときも、葬儀で献奏していただきました。

昨秋、井上さんの食道がんが発覚し、演奏活動をお休みされている、というニュースを聞きました。化学療法で入院と自宅療養を繰り返している中、1月の自宅療養のタイミングでご自宅までお見舞いに行きました。

聞けば、病気が分かった段階でステージIV。ご自身も、不調が病気のせいか、化学療法のせいか分からないともおっしゃっていましたが、ただ初夏くらいには復帰したいとも。正直に言えば、僕は半信半疑でした。妻とツーショットの年賀状を褒めてくれて、どうして妻が今日一緒じゃないんだ、今度は連れてきてよと言われました。

その後、僕も持病で体調を崩してしまって、ようやく元気が戻ってきたのでそろそろまた連絡してみようかな……と思っていた矢先、今日浜松の父の仲間から電話で訃報が届きました。妻と一緒に行けなくてごめんなさい。

仕事中でしたが、頭の中は真っ白です。連絡事項とか、会議とか、そういう“処理としてできる仕事”だけして帰ってきました。

 

こういう取り留めもないテキストを書いているのは、こういうことでも書かないと自分の気持ちが落ち着かないからです。何かできたのではないかという気持ちと、できることなんて何も無かったという気持ちとの葛藤が続いています。

僕にとっては、井上さんは父の親友であり、僕の叔父のようであり、兄のような存在です。そして、まだまだ新しい音楽を生み続けられる人であっただけに、本当に悔しく思います。両親の墓前に報告するのが本当につらいです。

 

休業からの復帰に際して、井上さんは本当に自分のやりたいことだけをやると決めて、100%とは言わないまでも実践してきました。社会人として見れば、自分勝手だと思います。ただ一人の芸術家として、その姿勢はあまりにもストイックで、100%の芸術家でした。その証拠は、僕だけではなく、多くの人が演奏で耳にしています。

その裏で、とても素敵な奥様は、数々の苦労があったはずです。ただ、それを全く表に出さない方です。そんな奥様の心中は、察するにあまりあります。若輩者がこんなことを申し上げるのは差し出がましいのですが、どうか胸を張って、ご自身の残りの人生を歩んでいただきたいです。今度は僕が奥様に「頑張らなくてもいいんですよ」と言って差し上げたいです。

 

僕自身まだ気持ちの整理が全くつかず、まだ「安らかに」とか、そういうことを言える心境ではありません。ただ、井上さんにはずっと、感謝の気持ちでいっぱいです。僕たち家族の人生において、要所要所のページにその名前と音楽が刻まれています。まさに「Gratitude」……感謝という気持ちを、どこかに残しておきたくてとりとめもなくこんなことを書きました。

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