2017年11月18日

神田大介『ウェブメディアの人にも役立つ、新聞記者の超基本的な取材のコツ』

大学時代からの友達で、朝日新聞記者の神田大介君がいつの間にか中東から帰ってきていました。会いたいな〜と思っていてもなかなか時間も無い中、朝日新聞のwithnewsとして第2回Webメディアびっくりセールに出るというので、会いに行った。

そこで彼がコピー本『ウェブメディアの人にも役立つ、新聞記者の超基本的な取材のコツ』(200円で頒布)を出していたので購入。

個人的に気になったのは以下のポイント(以下、イタリックは引用)。

 

【街頭インタビューのやり方】

「コツが一つある。記者のコントをしていると思い込んでしまうのだ。人に話して聞く役を演じていると思うと、赤の他人でも話しかけられるし、案外すらすら喋れる。心のコスプレをすれば、たいていのことはできる」

ああ、それをバラしてしまうか...と思った点(その1)。実は僕もよくこういうことをしている。どんな大物相手でも、取材をしているという意識だと大抵は平気だ。逆に、取材が終わってから雑談するとかだと困ってしまう。取材は、聞くべき話の内容が決まっている。だからこそ、「取材で来ている人」という意識であれば、必要な内容と量を聞き出すまでは、自分が話下手だとか人見知りだとか、そういうことは全く関係ない(もちろんインタビューのコツはほかにも無限にある)。特に新人時代は、いったんそういうモードに入ることをすごく意識していた。さすがに15年以上やっているともう平気だけど、それだけでだいぶ違う。

これは「取材をする職業」でなくても使えるテクニックで、例えば結婚式でスピーチをする場合にも「そういう役を演じている」つもりになれば、割と気分は楽になる。ただあまり使いすぎると、ずっと仮面を付けているようで疲れる。ほどほどに。

 

【相づちの打ち方】

「会話の「間」に耐えられなくなって相づちを入れるのは下手なやり方。相手が黙ったときに、向こうから話すまで待つ勇気もいる」

これもネタバレ。僕自身はそういうケースはあまり無いのだけれど、昔、同僚があまりしゃべらない人への取材で我慢比べのようにしゃべらないという方法で臨んだ。相手のマネージャーが「質問が無いならもうそろそろ……」と言いそうなところを目で殺したとかなんとか。記事にすべきはこちらの話ではなく相手の話なので、相手にいかに話をしてもらうかに気を揉むべき。

 

【写真の上手な撮り方】

「コンデジでもF値の高い機種を選びたい」

ここで神田君が「F値が高い」と言っているのは、数値が小さいもののことです。

 

【会った方がいい】

当然です。

 

【いつでも取材できる構え】

僕の場合は企画の打ち合わせ段階で録音を回してしまうことがある(毎回ではない)。それを文字起こしすると、アウトラインができているので、後はそこから推敲していく。

 

【筋肉質の文章】

「ゴチックがや傍線で「ここが大事だよ」というのを書き手の方から示すのは、しろうとくさいからなるべくやめた方がいい。文章の書きぶりで何が大事なのかをきっちり表現できるように考えるべし」

全くその通りです。僕はネット上ではグダグダとモノを書いているけれど、仕事では筋肉質な文体が好ましいと思ってそうしている。でもネットだと「ここ、大事です」って書いちゃう技も使えるんだろうな。

 

【主観と客観】

「新聞では客観的な原稿こそが至上とされてきた。(中略)ところがウェブメディアではこれがまったく逆転する。筆者の主観が入っていない記事は読者の共感を呼ばず、読まれない。(中略)新聞がウェブメディアの記事から学べることは、かなりたくさんある」

うーん...これは思わず唸ってしまった。神田君がそういう認識なのか、と。そういう率直な姿勢は大事だと思う。

一方で、媒体力よりも筆者のパーソナリティに、そして内容の是非よりも文体が好ましいかどうかに購読率が左右される、という懸念がある。もちろん、神田君はそんなことは言っていない。彼が言っているのは、同じような内容の記事をどのようなメディアに、どういう体裁で出すかという編集技能のことだ。紙であっても、そういうことはしている。

ただ、僕が懸念するのは、体裁と執筆者でその記事の信頼度が判断される可能性のことだ。もちろん間違った記事や偏見に満ちた記事は、裏を取れば簡単にその誤りを指摘できるし、よく炎上したりする。その一方で、炎上上等でそういうネタを書き散らかす人もいる。ポストトゥルース時代に、トゥルースの側が同様のテクニックを身に付けないと、簡単にポストトゥルースに(支持の点では)負けてしまう。深読みし過ぎかもしれないが、そんなことをつい考えてしまった。

 

僕も趣味で他人のブログをよく見たりしているけれど、プロの書く文章、あるいはプロが手を入れた文章と、アマチュアのそれとは、やはり持っている表情が違う。このブログも通常はブログ文体と言える(あまり考えてないけれど)。それは、市民ランナーとプロのランナーがフォームからして違うというのとちょっと似ているのかもしれない。

神田君は自身の整理の意味もあって「薄い本」を作ったのだろうし、これを明かしたところで、彼のような聡明な仕事はできるわけがない。僕にだってできない。ただ、このくらいの基礎が無いと、「身体は自由に動いてくれない」んです。

 

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